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春次賢太郎は普通の家庭に生まれました。優しいお母さんと厳格な父、二つ年上の頭の良い兄との四人家族で生まれました。実家は昔からの稼業があり、兄は小さい頃からその稼業を継ぐ事になっていました。次男であった春次賢太郎は、兄と違いある程度自由の成長する事ができました。

兄は大学卒業後には、稼業を継ぐために、すぐに修行に入る事が決まっていましたが、春次賢太郎の進路は決まっていませんでした。小さい頃から習い事が多かった春次賢太郎は、お絵かきスクールや、ピアノなど芸術分野に才能があり、市の防災ポスターなどで何度も賞を受賞していました。

春次賢太郎が、現在のように日本絵画に興味を持ち始めたのは、中学生の時の修学旅行で、東京に出た時にいった上野の美術館でした。そこには、日本を代表する様々な絵画が登場していてその中の一枚にいたく感動した春次賢太郎は、何らかの道を模索するようになりました。

修学旅行が終わり、中学で美術を教えている先生の所に行き、その作者の事や、作品の事を色々と聞くことができました。先生に教えられ、学校の図書館や市の図書館で関連本を読み漁りました。また、家業の手伝いをして得たお小遣いを全て、関連書籍や、東京までの電車賃に当て、その日本絵画に使用しました。

その過程で、他の日本絵画にも興味が出たため、あらゆる情報の収集を行っていきます。その時代に使用された筆や塗料、描かれている紙などについても調べ、自作できる物は全て試して行きました。高校受験になると親の意向で大学までエスカレーターで行ける大学に進みましたが、美術部がしっかり活動している高校に決めました。

兄と違い、元々勉強が苦手なタイプだったのですが、目標が出来た事や、自分が心を打たれた作品の情報収集のために、自分で調べる事を身に着けた春次賢太郎にとって、勉強は以前のように苦痛ではなくなっていました。苦手だった社会科も数学も塾に行かずに3ヶ月で平均点を20点以上上げる事ができました。これには両親も驚き、もっと上の高校に行かせるしかないと画策していたみたいだったのですが、その高校の美術部に入りたいというのが最終目標だったので、その高校以外を受験する事に関しては、決して首を縦に振りませんでした。高校受験も無事に合格し、念願の美術部で日本画を学んだ春次賢太郎は、現在も続いている日本絵画の作成の基礎を学ぶ事になります。高校での部活同が人生を決めてしまったと言っても過言ではありません。

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